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Tony Higa Airshows

TangoTango プロジェクトから完成まで

1985年にPittsでエアロバティックのトレーニングを始めたトニーは、自分のPittsがほしいという思いからプロジェクトを探し始めた。完成した機体は買えないが、プロジェクトなら買えるかもしれない。そして、一生に一度くらい、自分が乗る飛行機を自分で造りたいと思った。

翌年、Trade-A-Plane (飛行機版の中古車情報誌)で最適なPitts S1S のプロジェクトを見つけた。場所はミズーリ州のキャンサスシティ。このプロジェクトは中古の胴体と新品の翼のキット、クランクシャフトが曲がったエンジンだったから、当時の勤務先のボスから借りたトレーラーを牽引して、さっそくキャンサスシティへ向かった。

フリーウェイ40をただただ真っ直ぐ東へ行くだけだったが、途中、テキサス州まで来たとき、突風に煽られた。荷物を載せていないトレーラーは、あっと思う間に横倒しとなり、それに引っ張られたバンは前輪が浮いたまま、トレーラーと共にフリーウェイの上で160度のグランドループ。バンも横倒しとなった。トレーラーの外板は無残にも剥がれ、ただでさえポンコツのバンはひし形に歪んだ。幸いにも人間は無事だったが、フリーウェイ40を通行止めにしたことは言うまでもない。結局、レッカー屋さんのガレージで、急遽、バンを走れる状態に直し、閉まらなくなったバンの後ろのドアをロープで固定し、再びキャンサスシティへの旅を続けた。

その帰り道、骨だけにしたトレーラーを引き取って、帰途についた。結局トレーラーは買い取るはめになり、そのときのトニーにとってはかなりの手痛い出費となった。

前年の事故で持って帰ることができなかった胴体と翼を取りに、再びキャンサスシティへ。オーナーのスタン・ブラマン氏はTWAの747のキャプテンだった。長年倉庫に仕舞い込んでいたプロジェクトだったが、やっと手放す決心をしたのだ。歪んだバンを見て、トニーの必死さを感じてくれたに違いない。

これからいよいよ何十枚にも及ぶ図面を基に飛行機を製作することになる。プロジェクトには足りない部品も多く、材料を購入し自分で造ったりしなければならない。胴体とエンジンは作業場で、下翼や小物の細かい作業は自宅ですることもあった。

胴体と尾翼の骨格はクロモリのチューブ、翼は木製だ。下翼の上に乗っているのは、これから取り付けるリーディングエッジ(主翼前縁)。

翼は骨格ができたところで、湿気対策としてエポキシ系のバーニッシュ(ニス)を吹き付けていく。

上翼、下翼の骨組みができたところで、図面どおりにできているかどうかを確認するために、胴体と仮組みをする。これから完成するまで、何回もこの仮組みを行うことになる。

ウェルディングで補修した胴体の骨格は、プライマー(錆止めの一種)を塗ったあと、塗装する。機体とパイロット支える大事な骨格だ。

左がオーバーホールから戻ってきたPitts S1Sのライカミング4気筒エンジン、右はパイパー社のサラトガのライカミング6気筒エンジン。Pittsのエンジンは購入したときは普通のクランクシャフトだったが、エアロバティック専用のヘヴィデューティーに替えてもらった。

エンジンと購入したプロペラを胴体に取り付けて、試運転。初めてエンジンを回した、感動の一瞬だ。こんな状態でも機体は前へ前へと進もうとする。

翼と胴体のコックピットより後方は航空機用ファブリック(合成繊維の羽布)で、胴体の前方は航空機用アルミ合金で覆われる。ファブリックはノリで骨格に貼り付けていく。その後、洋裁のように、定められた温度でアイロンをかける。熱で20%縮ませることで、ファブリックに張りを与えるのだ。

ファブリックに水色のドープを塗る。ドープは繊維の間に浸透することでファブリックを強くする役目がある。そして、ファブリックをさらに固定するために、航空用糸で骨格に縛り付けていく。ちゃんと決められたステッチの仕方がある。

いよいよ塗装。近所の自動車修理工場のオーナーがペイントブースを貸してくれた。塗装が下手だとムラができ、ツヤがでない。塗装が終わったら、また仮組み。まだ胴体だけだが、少しずつ飛行機らしくなってくる。

購入したスピンナーキットに自分でプロペラの切り込みとねじ穴を開ける。位置が微妙にずれているだけでも芯振れがおきるから、穴を開けるときは緊張する。飛行機造りはこのような細かい作業が多い。

塗装が終了した翼を取り付け、ランナップに向け、電気系統のワイヤリングを行う。

90%完成したPitts S1S。試運転ではエアポートをタクシングして、見物人が拍手喝采。エンジン音は気持ちよく響き、再び空を飛ぶ日が近いことを感じさせてくれた。

2003年の8月10日、たくさんの友達に見守られて、Tango-Tangoとトニーが初めて一緒に空を飛んだ。ゴールまでもう少し。

2003年のリノエアレース初参戦に際して、沖縄の版画家、名嘉睦念さんが作品を提供してくれた。 胴体の美しいアートがそれ。プロジェクト探しから完成まで18年、レースナンバー31、TangoTangoがパイロンを回る日がやっと来た。

レースナンバー31とTangoTangoの由来

リノ・エアレースに参戦するためには、レースナンバーと機体の名前が必要だ。トニーのエアレースのコーチであるデニス・ブラウンと知人のマイク・スタッブスが、昔リノでレースしていたときに付けていた番号が29と30。たまたま空いていたということと、番号に深い思い入れもないということで31に決めた。いっぽう、TangoTangoはNナンバー(民間機登録記号)のN180TTのTTから。180は180馬力、TTはTony&Tamakiが由来のこのNナンバーは、航空無線のフォネティックコードではTango Tango 

(タンゴタンゴ)となる。発音がしやすいうえに、管制官もすぐに覚えてくれる。そこで、それをそのまま機体の名前にした。これまた、安易なネーミングだったが、意外と好評で、レース会場ではトニー自身が子供たちから「Tango Tango!」と呼ばれることもある。